2022年6月18日 高校33期 磯﨑英久さんが営む「旬菜 いそ﨑」を訪ね、お話を伺いました。
いそ﨑は、心斎橋と長堀橋の間に位置する古くからの飲食街の一角にあります。
和食の店らしく落ち着いた小粋な店構えで、大きな一枚のカウンターの向こうに立つ磯﨑さんはお客様の前ではお料理するパフォーマーです。
Q:このお仕事に進んだきっかけは?
A:両親がミナミで寿司割烹のお店を営んでいましたが、高校時代は後を継ぐ気はさらさらなく、たまたま誘われて入部したラグビーに高3の秋まで熱中し、お決まりの浪人生となりましたが、そこでも受験勉強には身が入らず、結局3年経ち大学に進むよりもともと嫌いではなかった料理の道に進もうと、、、
Q:修業時代はどうでしたか?
A:21歳で厨房に丁稚奉公。何軒かを経て、法善寺横丁 名店「㐂川」へ、、、
当時の修行は昔ながらの見て覚えろの時代。朝早くから夜遅くまでひたすら仕事していたので辛い思い出も多いけれど、一度決めたことを投げ出すのも嫌で頑張りました。
Q:でもそこから数年で「㐂川」の料理長にまでなられましたよね。
A:ただただ見て身体で覚えるというだけでなく、何故こう調理するのかを自分で考え抜いたからです。一応高津に入れた地頭はあったので(笑)
料理は科学だと分かり、例えば火を入れる事は水分を出すこと、味付けは浸透圧の加減で決まること、という風に考えたからです。
美味しいものを作るための手間は惜しまないけれど、いかに段取り良く、無駄な時間をかけずに調理するのかということも常に考えていました。
そうして6~7年料理長を務めた時のお弟子さんの中には、かのミシュランで星を頂いたお店を持つ人もいます。
Q:お店で出すお料理へのこだわりは?
A:料理の出来は60%は食材で決まると考えます。そのため仕入れは必ず自分で、黒門市場や鶴橋市場に、、、産地にこだわらずに目で見て納得いく食材を使い調理します。
お店の雰囲気も重要です。
Q:コロナの時は?
A:緊急事態宣言の時はさすがに店を閉めましたが、マンボウの時は普通に営業していました。
むしろどこも開いていないのでと、30日間連続で来てくださったお客様もいました。
Q:高校時代を振り返って。
A:我ら青春そのものでした。毎日が楽しくて仕方なく、ラグビーと友達作りの日々でした。
勉強そっちのけで、高1の2学期に先生から名指しで「磯﨑くん、留年するよ!」と言われ、それは嫌だったので如何にして留年せずに済むかを考えました。
8単位落とせば留年なので6単位は捨てるという戦略で、3年生までギリギリで進級、卒業しました。
当時は容赦なく留年させるという厳しさはありましたが、それ故に自由でしたね。
今は学校の先生もやさしいですが、一方管理されている様にも感じます。
Q:同窓生との繋がりは?
A:33期は高津高校に現教師として伊勢田さんがいますので、彼を中心に今でも活発な交流があります。
いそ﨑にも燦々会(33期の同期会グループ)で良く立ち寄ってくれます。
今年はちょうど60歳を迎える年なので、還暦大同窓会を計画中です。
たくさんの友人と会えるのが本当に楽しみです。
■インタビュー後の感想
お話上手な磯﨑さん。次から次へと話がと拡がり、実に面白く楽しいインタビューとなりました。
33期だけでなく、大阪で飲食業を営む先輩、後輩のお名前が次々上がり、、、
この時お聞きした同窓生のお店は、また今後順々にご紹介していきたいと思います。
話の最後に「人には適材適所がある!人生は楽しんだ者の勝ち!」と言い切った磯﨑さん。
ここには書ききれなかった武勇伝もいっぱいお聞きしました。
皆様も是非一度、お店に行かれて美味しい料理を味わいながら、直接お話を伺われる事をお勧めします。
■余談
磯﨑さん、ご家庭ではとお尋ねすると、奥様の育児が大変だった頃、家庭での調理を引き受けて以来、お店の休みの日にもお家で料理、お正月休みにもおせち料理を作って、、、
結局、ずーっと料理していますとの事。
女性の私には、ちょっぴり奥様がうらやましく思えました。
「旬菜 いそ﨑」
大阪市中央区東心斎橋2-4-6 小夜香ビル4F
06-6212-6765