~中26期・高1期 高津じんろく会 第63回(中学入校70周年記念)総会~
高津じんろく会は総会を毎年3月下旬に開催している。
全員82~3才と高齢化し、年々参加者が急激に減少しつつある中、今回は昭和18年中学入学70周年の記念の年につき、極力参加を呼びかけ例年より多い24名が3月27日、会場の梅田新阪急ホテル“星の間”に集合した。
総会は先ず、昨年の総会以降に物故された石倉明・小野隆雄・稲吉武3兄の御霊に黙祷、次いで、奥田将人幹事が多数参加の謝意と同窓会行事・会員の慶事・消息等下記の報告があった。
冒頭に「我々が昭和18年4月憧れの大阪府立高津中学に入学して戦中戦後の厳しい時代を生き抜き、今日入学70周年記念総会を迎えることが出来るのは同慶の至りであり、今後は80周年を目指し一層ご自愛されたい」と挨拶した。
続 いて昨年8月25日、ホテルアウィーナ大阪での全校同窓会総会には、アンサンブル部演奏にて現校歌斉唱後、我々旧中学26期生が中心となり、先輩後輩諸兄 の応援参加を得て20名程が会場最前列に整列し、旧中学の校歌「高津の宮跡学舎に…」と同応援歌「大空のもと高津が丘に…」を朗々と斉唱した。
あの苦境の中で勉学に励んだ高中健児の意気込みに会場は盛り上がった。
今年24日(土)ホテルアウィーナで開催の同窓会総会には、学校アンサンブル部演奏協力のもと、旧中学校校歌・応援歌を斉唱するので、極力多数諸兄の参加をお願いした。
慶事としては、昨年12月10日、同期故山中章三郎兄の令息山中伸弥京大教授がips細胞の研究成果を認められ、世界最高の栄誉ノーベル賞(医学生理学賞)を受賞されたことである。
ここ5年前より我々じんろく会でも受賞間近と話題になっていた。
期待が漸く実現したことは、故父親章三郎兄の宿願の慶びであり、父親の学友としても大きな誇りと慶びである。当日出席者全員で祝意を記載の大色紙に署名し、この色紙をお母様の美奈子様を通じて伸弥教授にお届をお願いした。
また、同期の近藤裕兄は、今年1月20日東京パレスホテルで紺綬褒章受章の盛大な祝賀会が開催され在京の高津同窓会員も列席した。
我々はこの受賞を今回の総会で祝福することとし、西本昭吾幹事より全員署名の大色紙とお祝いを贈呈した。
全員の大拍手を浴びて同兄より丁重な謝辞があった。
この受賞は、長年の東京税理士会役員・ボーイスカウト地区隊長・社会福祉協議会幹事・ロータリークラブ地区会長等の社会貢献大によるものである。
続いて、古川利行幹事より会計報告があり、以上で総会議事は終了した。
なお、健康上の理由で不参加の東京在住田中敏夫兄より届けられた、彼得意のカメラ撮影による写真を鑑賞した。
東京風物詩ともいうべき、武蔵野の花と緑は素晴らしく、またリニューアルした東京駅ライトアップの瞬間をキャッチした、輝くばかりの全景は圧巻であった。
これらの作品に会場は和やかな雰囲気に包まれた。
そして、懇親会は、西本幹事の発声で乾杯・開宴となった。
宴席に入って、関西大学文学部教授であった和服姿の肥田晧三兄より、高津中卒の織田作之助氏の生誕100年記念の音楽劇が松竹座で開催される話や、落語の始まりは大阪で、初代桂文枝が座間神社本殿左に小屋を建て話したという浪速文芸に関する解説があった。
西沼啓次・松原央両兄がそれぞれ医学・理学専門の立場より今回の「ノーベル賞」受賞の偉業について賛辞と解説があり、会場は一段と盛り上がった。
一同高津在学当時を回顧しつつ懇談を重ね、名残尽きないまま終宴の時刻となった。
全員の記念撮影し、姿勢を正しての旧中校歌・同応援歌を力一杯斉唱し、来年の再会を期して今期の総会は閉会した。
(奥田将人 記)