4月10日(日)シェラトン都ホテル大阪で114名もの多くの同期生の参加を得て無事高校9期の同窓会を開催することができました。
多数の幹事、世話役の方々のご協力の賜物でした。母校高津高校の現校長尾上良宏先生、在学中多くの教え、ご指導を頂いた高垣又太郎先生、小西英博先生、垣内邦昭先生のご臨席を賜ることもできました。
朝霧会は今回で8回目を迎え、4年に1度開いており、第1回目は今を遡る28年前の1983年(昭和58年)に開いています。
同窓会の名前朝霧会は校歌から命名したもので、毎回110名前後の同窓性が集まっています。
東京、福岡等々の遠隔地からの参加者も今年は14名に達していました。
年齢72歳の同窓生が114名も集まることはなかなか壮観なことですが、残念なことに卒業430名中、60名の仲間が既に彼岸へ旅立ち、鬼籍に入っています。
将来を嘱望され、期待を一身に担いながら、志半ばであの世に行かざるを得なかった多くの仲間の気持ちを思うと断腸の思いに駆られ、友への思いを馳せながらの黙祷を捧げました。
また、同時に3月11日に発生した東日本大震災で亡くなられた方にはお悔やみを、被災された方にもお見舞いを申しあげ、静かに頭を垂れました。
校長先生からは現在の高津高校は一時の緊張と異常な雰囲気から静かさと落ち着きを取り戻し、自由と創造、日新日進の校是の基に生徒の自主性を重んじながら、生徒が幅広く学び、校外との接触を通じて社会から学んでいくというようにもしている、との力強いお話がありました。
3人の恩師からは高津時代の私たちについての思い出話があり、私たちも高津時代の思い出に耽ることができました。
今回の同窓会の出色は同期生の作品展を開いたことです。
16名の方から、絵画、陶芸作品、書、写真、著作、人形等々の出展があり、日頃の皆さんの精進を出席者に披瀝することができました。
多くの人が作品に見入り、驚きと感激を受けたようです。
石黒武彦京都大学名誉教授(3年I組)の講演「科学の近況―孫の世代に通ずるために―」も大変良かったと思います。
氏は超伝導体物理学と科学技術社会学が専門ですが、科学の特徴を分かりやすく説明し、科学は時には一途に突き進んでいくこともあり、社会と共に考えていくことが大切であるという話でした。
最後に福島第一原子力発電所事故にも触れ、今一度科学と社会との対話の必要性を強調されていたのは印象的でした。
そのほかに、歌あり、体操ありの賑やかな同窓会でした。中田順造氏(3年G組)からは毎日家で行うことのできる体操を教わりました。
40年以上大学で体育の教鞭をとった氏から、ストレッチを中心とした体操の秘伝を伝授していただきました。
これを毎日実行すれば寿命が5年延びるとのお墨付きも頂きました。
歌は小嶋星子さん(3年G組)から、呼吸方法、歌い方の指導を受け、東北のことも考えながら「ふるさと」「見上げてご覧夜の星を」「いい日旅立ち」の3曲を歌い、最後は校歌で締めました。
しかし同窓会の何よりのご馳走は久しぶりに会う友との会話にあります。
この会場で久しぶりに同じ空気を吸い、目で合図し、笑顔を返すことのできる幸せに皆が酔っているのがよく分かりました。
皆の顔が55年前の高津時代の顔とだぶって見えてきました。
長い人生から見ればわずか3年ですが、太い糸、絆で結ばれているのがよく分かります。
この太い絆は友情であり、思いやりなのですが、根っこは自由と創造、日新日進のスピリットであり、何歳になってもあることに挑戦しようとするチャレンジ・スピリットであると見ています。
同窓会終了後の二次会も盛況で50名が近くの居酒屋に集まり、狭い部屋にぎゅーぎゅー詰めになりながら熱心にお酒を飲み、食べて、駄弁ることに一生懸命でした。
お互いすぐ横に顔があり、袖を触れ合わせながらの話しあいが相互の距離感をなくすという効用もありました。その姿を見て高津健児に幸多かれと祈るとともに、幸多きことを確信しました。
同時に高津と言えば、織田作之助を思いだします。
その著「夫婦善哉」で柳吉と蝶子が駆け落ちして、熱海に滞在している時に関東大震災に遭遇する場面がありますが、私たちの同窓会を開く1ヶ月前に東日本大震災が発生しています。
3月11日は同窓会出欠返事の締切日で、同窓会などしていていいのかと、悩みましたが、今はやってよかったと思っています。
法善寺横丁には織田作の歌碑「行き暮れてここが思案の善哉かな」があるのを後で知りました。
同窓の楽しき集い東北は悲しき避難心揺れるも 征慈郎
2011年5月9日 大塚征慈郎(高校9期生)